肥後細川庭園と甘泉園

目白通りをひたすら東に進んで、明治通りに架かる千登勢橋を渡って、さらに進むと日本女子大学があります。このあたりから文京区目白台です。さらに進むと右手に田中角栄元首相の邸宅の門があります。そこを過ぎると目白台運動公園という広い公園があります。この公園を南に横切って坂を下ると、肥後細川庭園があります。
目白庭園が豊島区立の庭園なのと同じように、肥後細川庭園は文京区立の庭園です。といっても規模や歴史はずいぶん違います。以前は「新江戸川公園」という名称で、あまり手入れがされてない印象があったのですが、平成28年1月にリニューアルオープンして見違えるようにきれいになりました。「肥後細川庭園」という名称もその時に公募して決めたそうです。広さは約19,000m²といいますから、目白庭園の7倍ほどもあります。それに目白庭園と違って庭園そのものに歴史があります。公園の案内には次のように書かれています。
「肥後細川庭園は、目白台の台地(関口台地)の自然景観を活かした池泉回遊式庭園です。この公園周辺は、江戸中期以降は旗本の地になり、江戸末期には清水家や一橋家の下屋敷となりました。そして幕末には熊本54万石の細川侯の下屋敷に、明治15年には細川家の本邸となりました。その後は東京都が買収し昭和36年に「新江戸川公園」として開園し、昭和50年に文京区に移管されました。」
意見ほとりにある建物「松聲閣(しょうせいかく)は、旧熊本藩細川家下屋敷のあったこの地で、細川家の学問所として使用されていたそうで、一時期は細川家の住まいとして使用されていました。公園のリニューアルにあわせて大掛かりに修復されました。「花菖蒲」と「芍薬」の部屋の灯は、当時から残されているランプシェードを磨き直して再利用しています。さらに、窓ガラスの一部も当時のものを再利用していますので、表面が微妙に波打ち、外の風景が僅かに歪んで見えます。こういう窓ガラスは最近めっきり少なくなりました。
肥後細川庭園も、目白庭園と同じ回遊式泉水庭園で、「赤鳥庵」にあたる建物が「松聲閣」です。池の向こう側から写真を撮ると、とてもよく似た構図になります。おそらく目白庭園をつくるときに、ここ(当時の新江戸川公園)を参考にしたのではないでしょうか。新江戸川公園のころには気づきませんでしたが、いまのよく手入れされた肥後細川庭園を見ると目白庭園は、まるでこの庭園のミニチュア版のようにも思えます。

肥後細川庭園の画像

永青文庫

肥後細川庭園は南向きの斜面になっていて、庭園内の小径を登ると、永青文庫に着きます。
永青文庫は、旧熊本藩主細川家伝来の美術品や歴史資料を集めた宝物館で、肥後細川庭園は無料ですが、こちらは民間の施設(公益財団法人永青文庫、理事長は細川護熙元首相)なので有料です。以下は、永青文庫の紹介文からの引用です。
「永青文庫は、今は遠き武蔵野の面影を止める目白台の一画に、江戸時代から戦後にかけて所在した広大な細川家の屋敷跡の一隅にあります。 細川家は室町幕府三管領の一つとして武門の誉高い家柄で、現在の細川家は藤孝(幽斎)を初代として戦国時代に始まります。 武人藤孝は優れた歌人・国文学者として、また、信長の雑賀征伐に弱冠15歳で初陣し先駆けの功に輝いた忠興(三斎)は千利休の高弟の一人としても名高く、その室・明智光秀の娘玉は波乱の戦国時代を清冽に生きた武将の妻として、キリスト者としてガラシャの洗礼名で知られています。 代々文武両道にすぐれた細川家は、多くの戦功を挙げて、3代忠利のとき肥後熊本五十四万石を与えられ、強力な外様大名として幕末に至りました。この家に伝来する歴史資料や美術品等の文化財を管理保存・研究し、一般に公開しているのが永青文庫です。ここには欧州貴族にも優る七百年余の細川家の伝統が静かに息づいています。 昭和25年、斯界に著名な侯爵16代護立公によって、細川家に伝来する文化財の散逸を防ぐ目的で財団法人として設立されました。その名称は藤孝の養家の始祖細川頼有以後8代の菩提寺である京都建仁寺塔頭永源庵の「永」と藤孝の居城青龍寺城の「青」の二字をとって護立公が名付けたものです。細川家の伝統を継承し、護り、誇りとするに相応しい名称と言えましょう。 昭和47年から一般公開を始め、翌48年に博物館法による登録博物館となり現在に至っています。因に現在の建物は旧細川侯爵家の家政所(事務所)として昭和初期に建設されたものです。」
所蔵品には国宝が8点、重要文化財が32点あるそうです。肥後細川庭園に来たなら、ぜひ一度は永青文庫を訪れることをお勧めします。

甘泉園

甘泉園の画像

肥後細川庭園の南側を流れる神田川を渡れば新宿区です。新宿区にも、すぐ近くに「甘泉園公園」という新宿区立の回遊式庭園があります。最寄り駅は都電荒川線の面影橋。電停から早稲田通りを渡ったところです。ここはまだ景観の整備にそれほどお金をかけていないようで、以前のままの姿(少し前の新江戸川公園もこんな感じでした)です。甘泉園も入園は無料です。肥後細川庭園を訪れたなら、甘泉園にも立ち寄ってみてはどうでしょう。
以下は、新宿区の案内からの引用です。
「「甘泉園」の名は、ここから湧く泉の水がお茶に適していたところからきたと言われています。池を抱く森は周辺とは別世界の静けさを演出し、四季を通して、訪れた人々をもてなします。この地は、江戸時代宝永年間(1704-1711年)に徳川御三家の一つ尾張徳川家の拝領地となり、その後安永三年(1774年)に初代清水家の江戸下屋敷が置かれていました。明治以降は、子爵相馬邸の庭園として整備され、昭和には早稲田大学が付属甘泉園として譲り受けました。昭和44年には区立公園となり、現在に至っています。現在の公園は、ツツジの花、アジサイの花、新緑やモミジの紅葉、冬の雪吊りなど、四季折々に見どころがある日本庭園として人々に親しまれています」
ちなみに「甘泉園」の所在地は新宿区西早稲田3丁目になります。広さは約14000平方メートルです。文京区立の旧新江戸川公園が、あのようにリニューアルしたので、新宿区立の甘泉園がリニューアルされるのも時間の問題かとは思いますが、いまのちょっぴりうらぶれた姿もなかなか親しみを覚えます。
そういうことで、「目白庭園」「肥後細川庭園」「甘泉園」は、それぞれ豊島区、文京区、新宿区と区は違いますが、いずれも区立の池を中央にした回遊式泉水庭園で、とてもよく似たところがありますが、それぞれに個性があり、癒される日本庭園です。

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