目白と目白台(そして東目白)

目白のつく地名は、豊島区目白(1から5丁目)と文京区目白台(1から3丁目)があります。このほかに新宿区下落合の高台の部分も「目白」と認識されていますし、中落合、上落合、さらに豊島区の西池袋、椎名町といった住居表示のところでも「目白」を冠したマンションなどの集合住宅が多くみられます。

金乗院(目白不動)の画像

ところがそもそも「目白」の由来となったのは目白不動(金乗院)というお寺で、住所は豊島区高田2丁目になります。(ちなみに「目黒」の由来は目黒不動=瀧泉寺に由来しているようです)目白不動の住居表示が目白でないことについては異論もあったようです。ここに、最高裁まで争われた裁判があります。昭和41年に提訴された「目白地名訴訟」です。当時豊島区のこの一帯で住居表示の変更が検討されました。そこでこのタイミングに合わせて旧住居表示が高田本町だった金乗院周辺の地域住民が署名を集め「東目白」に変更してほしい、目白は目白不動が由来の地名なのだから、と豊島区に請願を出します。ところがこの請願がどうしたわけか聞き入れられず、「高田」と変更されてしまいました。住民はこれを不服として裁判を起こしました。最高裁まで争われた結果は 住民の訴えを門前払い(原告適格を欠くとして却下)となりました。昭和44年のことです。

この裁判の反響は大きく、その後の住居表示の変更については、住民の意向がかなりの程度取り入れられるようになっています。しかし、目白不動とその周辺はそれから半世紀がたっても「高田」のままです。ちなみに金乗院のある「高田2丁目」は豊島区の「目白」と文京区の「目白台」にちょうど挟まれた地域(目白通りの南側)です。

ただ、「高田」の地名もこの一帯の旧称に由来するわけで、講談などで有名な堀部安兵衛の「高田馬場の決闘」(元禄7年=1694年)はほとんど目と鼻の先のようなところ(現在の新宿区西早稲田3丁目=豊島区高田1丁目から神田川を挟んで南側)で起きています。ですから、「高田」もまた歴史のある地名です。ちなみに目白界隈の坂には1つ1つ名前がついていて、金乗院から目白通りまで南北に通る坂が「宿坂」といいます。その1つ西側の高南小学校わきの坂を「のぞき坂」といって東京で名前がある坂の中では最も急だそうです。自転車で降りるときには勇気がいる坂です。

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