酒田市の画像

シャッター通りを歩く

もはや当たり前すぎてニュースの話題にもならなくなったシャッター通り。でもそうしてほかのことに目を向けているうちに、事態は抜き差しならないことになっているようです。
いまや、県庁所在地の駅前再開発でも、テナントが集まらずに開発主体の第3セクターが頭を抱えているという話をよく耳にします。人口の少ない市町村は、これまでも数十年にわたってゆるやかな過疎化の波を受けてきました。それがいま、一層大きなうねりとなって比較的人口が集中して都市機能が整備されていたはずの都市にも及んできています。いま、事態が最も深刻なのが、人口10万人前後の地方の中核的な都市ではないでしょうか。
大都市から鉄道や高速バスでおおむね1時間半以上、県庁所在地ではない、人口10万人前後、あるいはかつて10万人を超えていた都市が、ほぼ共通の危機に見舞われているようです。

シャッター通りで思うこと

酒田市は、山形県庄内地域の最上川河口に位置する都市です。江戸時代は北前船で栄え、「西の堺、東の酒田」といわれ、日本最大の地主と称された豪商の本間家は「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」とうたわれ、酒田市は商業の中心地として栄華を誇っていました。酒田港は重要港湾に指定され、昭和40年代には臨海部での大型工場の誘致にも成功しました。しかし昭和51年、酒田市は中心市街地で大火に見舞われます。市の中心部1700棟余りが焼失し、大家から復興して現在に至ります。
酒田市のある意味、特徴ともいえるのが、東京からの移動に時間がかかることです。東京から高速バスで8時間はふつうとして、新幹線でも山形新幹線経由で5時間余り、鉄道で最も速いのは新潟から特急いなほに乗り継ぐケースですが、特急の本数がおよそ2時間に1本と少ないということがあります。高速道路を利用した場合も酒田市のホームページは6時間としていますが、これはおそらくハンドルを握っている正味の時間でしょう。距離は500キロで途中一般道もあります。結局、時間短縮なら空の便で庄内空港に降り立つことになりますが、羽田・庄内間は1日4便で、空港から市街地まで40分かかります。
時間がかかるといえば、県庁所在地の山形まで、高速バスで約2時間半かかります。新潟なら特急で2時間余り、秋田なら1時間半ほどなので、ほかの都市と程よく離れた距離にあったことが、昭和50年代あたりから各地で起こったストロー現象(交通の便が良くなることで、大きな都市に人やお金が吸い寄せられてしまうこと)をかなりの程度防いできたと考えられます。しかし、いま時代は変わってしまいました。

統計から見えてくること

山形県酒田市(以下は国勢調査の数字です)
人口平成2年 12万2800人
平成7年 12万2500人
平成12年 12万1600人
平成17年 11万7500人
平成22年 11万1100人
平成27年 10万6200人
平成31年 10万2600人(住民基本台帳)

平成12年まではほぼ横ばいだった人口が、平成17年からはほぼ5年で5000人、つまり1年で1000人(1年で人口が約1パーセント減少)の割合で減っていることがわかります。
このうち、老齢人口(65歳以上)はどうでしょうか
平成2年 19400人
平成7年 24000人
平成12年 27900人
平成22年 30400人
平成27年 31800人
増えてはいますが、増加率はそれほど顕著ではありません。
一方で著しく減っているのが、0歳から14歳までの年少人口です。
平成2年 22600人
平成7年 20100人
平成12年 18000人
平成17年 16000人
平成22年 14100人
平成27年 12100人
平成31年 11000人(住民基本台帳)
つまり平成の30年間で、年少人口が半減したことになります。
つぎに、人口減少を自然増減(出生数-死亡数)と社会増減(転入者数-転出者数)で見ると(酒田市企画振興部が平成26年にまとめた人口減少対策の資料より)
平成2年に自然増減が+136人 社会増減が-388人
平成7年に自然増減が+39人 社会増減が+54人
平成12年に自然増減が-138人 社会増減が-222人
平成17年に自然増減が-412人 社会増減が-801人
平成22年に自然増減が-633人 社会増減が-362人
(平成24年は自然増減が-841人 社会増減が-550人)
このように、社会増減は年によってばらつきがありますが、自然増減については一貫して減る傾向で、しかも減少幅が加速していることがわかります。
自然増減は平成9年がプラス2人、平成10年から減少に転じてマイナス25人でした。)

つまり人口減少の主要因は、町を出ていく転出者の増加にあるのではなく、多子社会の到来によるものだと考えられるのです。

さて、シャッター通りです。酒田の大火から復興を遂げた中心商店街も、空き店舗が目立つようになっています。平成3年に大規模小売店舗法が改正されて、規制緩和が進み、各地で郊外に広い駐車場を備えたショッピングセンターが進出しました。でも市街地の商店街はすぐに消えたわけなく、じわじわと店をたたんでいきました。もちろん最大の原因は売り上げの不振でしょう。商売が儲からなければ、跡を継ぐ人はいません。それでも多くの商店は家族経営ですから、老夫婦が「働けるうちは」と、年金に加えてこれまでの貯えを切り崩して細々と商売を続けてきました。しかし80歳を過ぎると店を開けるのもつらくなります。
こうしてはじめはじわじわと、やがて急激に、シャッターを閉めたままの店が増えてきました。かりに大店法の緩和からすぐにシャッター通りが生まれていたら政府も対策に本腰を入れざるを得なかったはずです。時間差があったために、大店法のことなど忘れてしまったころに問題が大きくなっても、もう後には戻れなくなっていました。(大店法は約20年前に廃止)

一方で、中心市街地の空洞化は都市機能を蝕みます。歩いて買い物ができなくなるとクルマに頼ることになりますが、高齢化の進行で、マイカーでの移動が困難な人たちも増えています。こうした解決困難なかだいにさらされているのが、いまの地方の中心的な都市の実情だろうと思います。これから団塊の世代を看取るまで、蝕まれた都市機能は耐えきれるんでしょうか

酒田市の画像

この国の行方

トップページ